SCISSORHands〜ハサミ男の悲劇〜「無垢」であることの罪

シザーハンズ」を観た。ジョニー・ディップ(のちのジャック・スパロウ)とティム・バートン、そしてウィノナ・ライダー出世作であり、代表作であるこの物語で重要な点は「いったい誰が悪かったのかという点と無垢(イノセンス)であり続けることは罪なのかという点である。お城から連れ出したセールスレディが悪いのか?、もてはやすだけもてはやした街の人やマスコミが悪いのか?、存在自体が「ヤマアラシのジレンマ」であるエドワードが悪いのか?御伽噺に仕立ててティム・バートンは答えを出さない。世俗のことを何も知らないエドワードはある種マイノリティ(障害者)であり、それを世の中から離していくことが果たして正しいことなのか?それを観客に委ねるバートンはずるいと言えば明らかにずるい手法である。いわゆるT・Sエリオットの言う「虚な人々想像力のなくそのことで他人を無意識に傷つける)の存在が悪なのか?内蔵がやり切れさのない怒りのまま物語は終わり、僕らに質問を携えたまま話は終わる。鋏男の悲しみを含んだまま。

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ScissorHands

#白猫独りロードショー