父が亡くなった。昭和九年生まれだから享年八十九才であった。親父はとにかく苦労人で、尋常小学校を出た後、集団就職で浅草の鞄問屋、その後二代目越後屋の目に付き婿養子として二代目越後屋店主になり、商売を発展させ、古い商店を一代でビルにまでした。古い人間だから、とにかく僕の小さなときは怖くて怖くて仕方がなかった。でも、配達用の中型バイクで二人乗りをしてくれたことは忘れない。選挙の日は家族全員で投票に出かけ、今のアオーレ長岡にあった公園で遊んでくれたことも忘れないだろう。東京で働きながら、やりくりして、実家に仕送り、それで弟たちを大学まで住ん楽させてくれたとおじさんたちは度々口にして感謝してくれた父は不器用で仕事ばかりだったけど、働くことの大事さを背中で語るような男だった。最近は腰痛で入院するくらい足腰が弱っていたけど、最後まで店を閉めようとしなかった。今は僕も呆然として何をすればいいかわからないが、きっとそのうちじわじわくると思われる。
今は「お疲れ様」と言ってあげたいと思います。#白猫日記
【追記】尊敬してもしきれない親父でした。
【追記】2 春に米寿の祝いができたのがせめてもの喜びです。
【追記】3 心筋梗塞で苦しまずに亡くなったのが不幸中の幸い