Fiore[連作短編]〜「もみじ」

某社短編コンテストのために初めて書き上げた。短編をブログで公開します。

「もみじ」二〇二二年六月四日起筆

ぼくの言葉が足りないのならムネをナイフでさいて抉り出してもいい君の迷いと言い訳ぐらいほんとはぼくだって気づいてたのさ いつかあんなふうに誰かを憎むのかなだとしたらもっともっと抱きしめてトゲのように心にささればいいあなたにずっとのこればいい

スガシカオ「月とナイフ」

西陽の差す、蒸し暑い真っ赤に染まった病室の中で、僕はもみじの鉢を掌に乗せながらぼんやり考え込んでいた。

緑の双葉も赤く染まった部屋で呆けていると突然、窓の間近で大きな鳥の声(不吉なムクドリか何かだろう)が鉢に吸い込まれていたような部屋の沈黙を破った。

「忘れたときが本当の死である」という言葉が真実だとしたら、僕はいつまであの人のことを忘れずにいればいいのだろう。

ポニーテールにした髪をバッサリ切り落したときみたいに振り切ったほうがいいのか僕には判断がつかない。

あの人が亡くなった日と告白した夜のことは一生忘れないと思っていた。

あの人と出会ったのが運命だというなら、どれが一番大きな運命だったのかは僕には今でもわかっていない。あの人に出会えたことか、あの人を亡くしたことか、それともその後の僕の人生の転機のことか。

姉が誕生日のお祝いにもみじの盆栽を送ってきたのは一昨年脳溢血の長い入院で暇を持て余していた十一月の終わりの頃だった。脳溢血の後遺症で左手が不自由な僕には一〇センチ四方の包みもうまく開けることができなかった。若葉色の小箱の中には磁器の小ぶりな植木鉢と用土とビニールに入った小さな羽根のついたもみじの種が入っていた。初めて見るもみじの種はまるで羽子板の羽根のような小さな羽がついていて、調べると拡散するための羽のようだった。

暇ですることもなかった僕は早速テーブルに新聞紙を広げると鉢に用土を流し込み、まんなかに種を入れると少しだけ土の布団をやさしくかけた。もみじは発芽率が低いと書かれていたので、それからは水やりくらいしか手間はかからなかった。 それから一月ほど経って忘れかけた頃に小さな双葉が顔を出したのである。

その双葉を眺めながら、あの人は大阪に行く度にお土産に「もみじの天ぷら」を買ってきてくれたことを思い出したのである。「もみじの天ぷら」というのは、紅葉して真っ赤になったもみじの葉っぱに衣をつけて揚げた箕面山かどこかの名物らしい。軽い塩味で美味しかったけど、袋に入ったそれは目にも楽しませてくれるお菓子だった。

もちろん出てきたばかりの双葉が赤いわけではなかったが、あの人を想起させるには十分なキッカケである。

あの人の想い出には必ずコーヒーとタバコの香りがついて回った。

あの人と出会ったのは僕が大学二年生二十歳の頃。前期の製図の授業の最後に非常勤講師の先生が自分の設計事務所のバイト募集をしたときから始めたバイトの初日のことだ。

その建築家はマンションのエントランスで待ち伏せるように、出会い頭に「これ、僕の奥さん、美人でしょ」と、臆面もなく奥様を紹介するとそのままマンションの一室に僕を案内してデスクで図面を描いているのが最初だったと記憶している。キリリと凛々しい眉毛の上で切り揃えた前髪と、顎までのショートカットにロイド眼鏡のあの人は「ゴウ ミヤコです。よろしく」と、透き通るような笑顔で挨拶をしてくたが、どういう人なのかは全くわからなかった。

ただ、眼鏡に負けないくらいの大きな目が笑うと目尻に大きなシワがよるのと、透き通るような耳障りのいい声が印象的だった。

その声を聴いたとき、僕の脳みそは痺れるような感覚を味わった。

笑顔と声が一瞬で僕の胸に刻まれたことを忘れない。

その後、奥様に「彼女はわたしの親友で一応は所員だからそのつもりで」と紹介してくれたがそれ以上のことはわからずじまいだった。客観的に観れば先生の奥さんの方が美人だと思うのだが僕の心はあの人の笑顔の方に惹かれていた。

バイト初日は特にやることもないので平行定規を与えられても仕事をするでもなく、まずは所員にコーヒーを淹れるくらいしかできなかった。コーヒーと言っても普段飲んでいるインスタントじゃないことでここの事務所のこだわり具合を感じた。

ちゃんとドリップで淹れるのは初めてだったけど、うろ覚えで蒸らして淹れたコーヒーはまずまずの味に仕上がったと自画自賛したような気がする。コーヒーを配りながら所員の名前を覚えていくのだが、先生はみんなを「ちゃん」付で紹介してくれて、ぼくのことも「りゅうちゃん」と、紹介してくれたので、それだけで仲間になったような気がした。しかし、結局あの人の名前しか覚えることはできなかった。他の所員は眼中になかった。

それから江戸川橋の事務所に通うことになったが、路上にあの人の濃紺のベンツが停めてあるだけで、その日のバイトは高いモチベーションでウキウキとしてやり通せたのである。仕事の都合で一度だけベンツに乗ってドライブがてらの仕事に行ったことがある。普段はクラシックしか聴かないあの人が、テープを片手に「かけていい?」と言って、大音響のクイーンが鳴り響いたのには驚かされた。「キラー・クイーン」の強烈なギターのリフが後々まで耳に残った。

奥さんとの会話から、二人とも有名な女子大出身で七つ歳上だということが判明した。あの人は僕が好きな漫画のキャラにも似ていたのでバイトの手隙の時間をみては似顔のイラストを下敷きの紙に描いたりしていた。しかも猫耳なんかを着けて可愛らしくコケティッシュに描いていたのである。

あの人はまだ大学院に籍を置いていたので毎日来るわけじゃなかった。だから遭遇できただけで幸せだったのである。そして会えたときにはあの人のお気に入りの猫(自宅で三毛猫を飼っているそうだ)のマグカップにコーヒーを入れるのが楽しみだった。少し離れた席から聞こえてくる電動消しゴムの音さえ愛おしく聞こえてくるくらい僕はあの人に参っていた。

あのころの僕はあの人がいない日にはバイトの手も止まりがちなダメな学生だった。

僕だって健康優良建築少年だったからあの人に性欲を感じてなかったわけではない。

でも彼女からはオーラともバリアーとも取れる近寄り難いものがあったので性欲なんて感じるだけの余裕なんてなかった。

あの人とデートだけでもできないかと知恵を絞って考えついたのが、当時改装したばかりで話題のサンシャインのプラネタリウムに誘うことだった。

プラネタリウムの招待券を得意げにバイト先に持ち込むが、そういうときに限ってあの人はお休みだったりする。

しかしいざ出勤していても気軽に声をかけられるわけもなく、淹れたばかりのコーヒー片手にデスクの周囲を意味もなくうろつくしかないチキン野郎が僕だったのである。 ようやく声をかけても最初は全く脈も何もなかったけど、諦めかけたころ気まぐれなあの人はようやく話に乗ってくれたのである。「うん、プラネタリウムは私も好きよ。ずいぶん行ってないから行ってみたいけど、しばらく論文があるので、ちょっと忙しい。」あえなく僕の拙い計画は崩れ去ってしまった。

でもせっかく引けた興味をむざむざと見逃すのも惜しかったので、悪戦苦闘してプラネタリウムに行く約束を取り付けた。サンシャイン六〇は僕が建築を志したきっかけの一つの建物だった。当日はバイトに来た僕をピックアップしてあの人のベンツで東池袋に行くことになった。それからはデートのマニュアル本を読み込んで、どんな服で挑もうかと、ない知恵を総動員して当日に挑んだのである。もちろん財布の中には百パーセント使うわけもない避妊具なんかも忍ばせていたのである。

当日は予定していた通りにあの人のベンツに同乗して東池袋に向かうのだが車中響き渡るクイーンには二度目なので驚かなかったけど、まだ免許もなかった僕には入り組んだ街をすごい運転で乗り回す運転には驚かされた。

新しいプラネタリウムは評判通りの美しさで魅了されるのだが、結果的には大失敗と言うか大失態になってしまった。前日には完徹も半徹もせず、ガムも準備していたのにどうやら開始数分で居眠りをしてしまったらしく、目が覚めた時には、上映はすでに終わり、照明がつき始めていた。いびきをかいていたのかは怖くて聞けなかった。プラネタリウムの後は御礼にとサンシャイン・シティのお店に誘われた。

外食といえば大学近くの古い喫茶店や駅前の赤提灯しか知らなかったし、クレカも持っていなかった僕は戦々恐々とするのだった。

そんな僕の表情を読んだのか「ここは奢るから安心して」と微笑まれると二重の意味で僕は安心できた。

もちろんディナーを食べるのではなく、カフェバーのような店を選んで入った。ちょっとおしゃれな店で落ち着かなかったけれど、あの人がオーダーしたのは白ワインとエスカルゴだけだった。

エスカルゴの食べ方なんて見当もつかなかったので嫌な汗が背筋を伝った。

冷たい白ワインとエスカルゴで軽く酔ったのか、あの人は唐突にプライベートな話を始めた。

「実はうちの妹ちゃんが今度結婚することになったんだけど、相手が私の元彼なの」話の唐突さにも驚いたがあの人の良さは僕にしかわからないと思い上がっていたので、男っ気が見られなかったあの人に彼氏がいたということに驚かされた。

なぜか僕はこのタイミングで告白をしようと思いついたのである。

テーブルの上の華奢なあの人の手を握ろうとすると野生動物のように俊敏な動きで腕はテーブルの下に逃げ込んだ。

「薄々感じているかも知りませんが、僕はあなたのことが大好きです。できればお付き合いしたいと思っています。今は何の力にもなれない小僧みたいな僕ですが、あなたにふさわしい男になるために、大学院に進学しようと思っています。」告白がいつの間にか進路報告になっていたくらい僕はテンパっていたのだと思う。向かい合わせの席に座っていたけど、あの人の視線は、僕のはるか遠くを見ているようだった。「りゅうくんは若いね」囁くように呟き、白ワインのグラスを飲み干すと日焼けしてない白い喉元が露わになって僕の鼓動がひとつ大きく鳴った。

その後はデザートのコーヒーが出るまでなんの会話もなかった。

その告白とも進学相談ともわからないような出来事のあった半年くらい過ぎた頃にあの人の訃報が舞い込んできたのである。随分長く休んでいると思っていたが、あの人のやることは全て正しいと思っていたので、季節の変わり目で体調を崩しているか、論文でも書いているのだろうと、思い込んでいたときの不意打ちのような訃報だ。

告白をした後も特に変化は訪れず、一度として二人きりで会えることはなかった。日々は淡々と過ぎ去り、僕は大学院へ内部進学のための準備をしていたし、あの人は窓を眺めながらため息をつくのが増えたような気がした。休みの日が多くなってきたと思いながらバイトを続けていた頃、

あれはまだ残暑の残るビールの美味い頃だった思う。僕らは一日の仕事を終わらせた後の休憩時間のときだった、所長の義妹の淳子さんがエプロン姿のまま、泣き腫らした目で事務所に飛び込んで、開口一番、

「郷さんが死んじゃった!」

具体的なことを聞く前に彼女を宥める方が先だった。

死因は悪性腫瘍、つまり「癌」だけど、そんなことはどうでもいい。先生の奥様にも同時に連絡が来ていたらしく、すぐにお通夜に行く用意を始めていた。

そんなときに遅まきながら一枚のファックスが事務所に流れてきた。あの人の訃報とお葬式等の連絡事項の書かれた事務的な案内でようやく「死」の実感が起こってきたけど、涙一粒もこぼれてはこなかった。

あの人の告別式は献花の多さと参列者の数が尋常じゃなかったのを覚えている。

かましくも火葬場までついて行ったけど、最後まで涙一粒もこぼれてこなかったのが、ひどく哀しく感じられた。葬儀の全てが終わった後に僕と後輩はいつも行く居酒屋にて精進落としで飲み始めたが、秋刀魚のわたのほろ苦さを味わい始めたとき、店中の人が驚くほどの大声で泣き出したのであった。感情が追いつかないくらい、次から次へと涙が出てきて、後輩は慟哭する僕を悲しげな目で眺めていたけど、あえて慰めようとしないのが嬉しかったのを覚えている。精進落としの帰り道ではひどい雨に降られて帰り道の石神井川沿いの道を歩いていた時の対向車のライトがやけに眩しかったのを覚えている。

それから毎年あの人の命日になると菩提寺にバイクで乗り付けてお参りをするのが習慣となっていった。没後五年ほどは先客の花が添えられていたけど、あの人の享年を追い越したころにはお参りの影も見当たらなくなった。僕は手書きの手帳を止めたときにあの人の命日を書き込むこともやめてしまったので、命日さえ、もうわからなくなっていた。そろそろあの人のことを忘れてもいい頃かもしれないと掌の上のもみじの鉢を弄びながら思い始めている。徐々に外は夜の帷が落ちて、外は暗くなってきたけど、きっと夜空は綺麗な星空だろう。あの日のプラネタリウムのように。

そして瞼を閉じるとあの人の姿があの頃のまま鮮明に語り始めるのであった。「郷美耶子です。よろしく」と‥‥

 暗くなった外の街灯に僕の眼と心が引き込まれた。一度目に入った街灯から目が離せなくなり、そのまま僕は車椅子に座り続けながら暗い部屋に佇んでいた。

 手探りで照明をリモコンで点ける。鉢を棚に戻すときに初めて特徴的なもみじの葉が微かに色づいていることに気がついた。誰かが僕の声音を使って耳元で囁いた。「もう忘れてもいいんじゃない?」

【追記】コンテストには残念ながら落選しましたが、一本書き上げたことが自信になりその後も小説は書き続けています。

【追記】2 誤字脱字は初めてのものなのでご容赦お願いします。

【追記】3 現在は学生時代の海外調査旅行記と脳溢血後の闘病記を執筆中です。毎日書いていますが、いつかどこかの賞に応募するつもりです。#ikuzuss