「峠 最後のサムライ」を観た。僕のような生まれも育ちも長岡の人間ににとって、名物と言えば「長岡祭の正三尺玉花火」、偉人と言えば山本五十六と河合継之助であった。山本五十六は連合艦隊司令官という地位もあり大体のところはわかっていた。ところが河井継之助という人物は戊辰戦争の敗戦のためか、よくわかっていなかった。そして本作である。長岡であんなに激しい戦闘があったことにも驚かされたが、あの時代に」リバティとライト」を志す人物がいたことが最高の驚きであった。#白猫独りロードショー
【追記】長岡人は戊辰戦争の敗戦の影響で県庁所在地が新潟に取られたと固く信じている。
【追記】2 「リバティとライト」という思想はその後「米百俵」へとつながるがそれはまた別の話